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2013-07-21 10:00

海外芸能

痛みと愛のはざまに生きたメキシコの画家、フリーダ・カーロ

フリーダ・カーロ
 情熱的な人生がたびたび映画にもなり、自分の意志を貫く強い女性として、日本人女性からも大人気のメキシコを代表する画家フリーダ・カーロ(1907~1954)。
少女時代、乗っていたバスの事故で、下半身を鉄のパイプが貫通する大けがをしたため、その後遺症に悩まされながらも創作活動に没頭し、後世に残る作品をたくさん生んだ。

フリーダの描いた絵

メキシコ壁画運動の中心にいた、巨匠画家ディエゴ・リベラ (1886~1957)と結婚して幸せになるかと思いきや、彼は根っからの女好きで、フリーダの妹にも手を出す始末。そんなディエゴの行動に傷つきながら、それを紛らわすかのように、彼女もいくつもの恋に溺れた。
革命家トロツキーや芸術家イサム・ノグチとも関係をもち、バイセクシャルでもあった。
記事「自由と愛に生きたメキシコの歌手、チャベーラ・バルガス」 でも紹介したチャベーラ・バルガスとも愛人関係だったようだ。
個性の強いディエゴとフリーダは、激しくぶつかりあい、結局離婚をする。
しかし、最終的にはふたりは復縁した。そして、ディエゴは彼女の死を見届け、その3年後に亡くなった。
フリーダ・カーロ

フリーダのメキシコシティ南部になる青い壁の邸宅は「青い家」と呼ばれ、現在はフリーダ博物館となっている。フリーダの使っていたベッドに置かれたデスマスク。

痛みと愛のはざまで生き続けたフリーダの残した、胸にズキュンと響く言葉を紹介しよう。

『Intenté ahogar mis dolores, pero ellos aprendieron a nadar』

痛みの数々に溺れようと努力した。でも、その「痛み」たちは、泳ぐことを学んだの。


『A veces prefiero hablar con obreros y albañiles que con esa gente estúpida que se hace llamar gente culta』

その愚かな気取ったひとたちよりも、職人や労働者と話すほうがいいと思うことがある。


『Doctor si me deja tomar este tequila le prometo no beber en mi funeral』

先生、もしも私がこのテキーラを飲むことを許してくれたら、私の葬式では飲まないと約束するわ。


フリーダもディエゴもこの世にはもういないが、きっとあの世で、仲良くテキーラを酌み交わしていることだろう。
フリーダ・カーロ

青い家の壁に描かれた言葉『フリーダとディエゴはこの家に住んでいた 1929~1954』

外部リンク

参照元:ZuQuuuuuN!!
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